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ここで使用している音声は、真空管アンプ、シュアーのマイク、デジタル録音、デジタル編集と、すべて音質にこだわって創っております。
特攻隊員の遺書 (携帯ストリーム)
入って左側すぐに特攻隊員の遺書が遺影と共に掲げられていた。
もう十年前の出会いであったが、今でもその時の、衝撃的な感動が
忘れられない。若冠十八歳、出撃を前に家族への別れの手紙である。
彼の万感なる思いがひしひしと伝わり、いつしか涙で顔がぐしゃぐしゃになっていた。
彼らの死があってこそ、今の日本の平和があるのだ。その平和の有り難さを
噛み締め感謝する為にも、多くの人にこの遺書を読んでもらいたいと思う。
それから、楽しく毎日聴くことができるように携帯電話(ドコモ)からダウンロード出来るように
致しました。携帯でも最高の音質で聞いて頂けるようにも配慮いたしました。
遺書
俊郎も至極強健、操縦任務に献身致しておりまする故、なにとぞ御安心下さい。
内地の報を耳に致す度に、我が胸中裂けん思いで一杯です。
馬来の状況も、日一日と悪化致し愈々我が、今に生まれし特攻隊として、
敵空母戦艦撃沈さすその時期を、待つのみです。
お父様俊郎は、鎌倉に生まれし事を嬉しく且つ、幸福に存じます。
俊郎、生を受けてより今日まで何一つ孝をなさず。子としての、務めに非ずと
思いしも致せず。
しかしながら俊郎、ひと度び特攻機と、運命を共に致した時はどうかこれが、
俊郎の最初で最期の孝行と思って下さい。
皇民と生まれし我の幸せ、人間一度は死するものなり、黒か白か二つの内一つ
つなり。白き箱にて、帰りました暁にはどうぞ、花の一枝でも上げて下さい。
男の本懐之に過ぐるにあらん。
敵、本土上陸せば親も子も非ず、ただ国に身を尽すのみ。
暫くすれば俊郎と、靖国の社にて親子の対面なり。
ああ壮なる歳、十八歳にして特攻隊として死せるか、悠久の大義に生きるか、
我、笑って死なん。
馬来の夕暮れ椰子の葉、夕日が西に沈まんと欲す。
我一人、遠き郷里の母の顔を瞼に浮かべ、父母の健在を祈る。
願くば靖国に来りて。
俊郎より
時枝に告ぐ
我が妹なりと思えば何か、筆を走らさん。
兄として何一つ、面倒を見ずして死するは実に、悔むるところなり。
しかしながら我が志、何か通はん。
十五なりといえども、今は子供に非ず。兄無き後はよく、父母に使へ兄の分まで
孝をなしてくれ。
妹、勝子の指導又大なり。私心に走ること無かれ、本性を理解せよ。
兄より
国(君)の為、何が惜しまん我が命、死して護国の
神と化しなん
七生昭道 菊水特別攻撃隊
陸軍少尉 大村俊郎
行年十八歳
注 語り用に脚色してますので遺書と言い回しが少し異なります 遺書撮影 全文
亡き人々を供養する祈りの芸人白井勝文の「一弦供養」の活動を御覧下さい