平成17年10月に撮影
「一弦供養」祈りの芸人の顔です
ボサマ姿の普通の顔です
静岡市に生まれ育つ.昭和42年静清工業高校を卒業しオーディオメーカー山水
電気(株)に入社する。昭和47年に当時高校生でまだデビュー前の民謡歌手の
金沢明子さんと運命的な出会いによって津軽三味の手ほどきを受ける。
その後サラリーマンをしながら独学で津軽三味線の技術を修得。昭和62年から
青森県弘前市で行はれる「津軽三味線全国大会」に5年出場し本場の技にも挑
戦、独自の境地を窮める。平成4年、静岡営業所長在職中企業リストラにより横
浜所長を命じられるが敢えて希望退職を選択。25年のサラリーマン生活に終止
符を打ち津軽三味線の演奏家として第二の人生を歩み始める。平成5年1月(有)
セフ企画を設立する。現在「祈りの芸人」として一弦供養を旗印に亡き人々の鎮
魂供養も行っている。さらに新しい芸域として「津軽三味線のルーツ」や「津軽の
歴史物語」そして「郷土の歴史物語」など、津軽三味線の弾き語りの世界も開拓。
全国でも誰もやっていない独自の世界を構築している。
また、30歳の時から仏陀と老子を学びはじめその後、空海の密教、インド哲学
のバガヴァット・ギーターを独学で学び続け、人生の生き様をとうして、独自の精
神哲学を構築している。
おおだたら不動尊縁日
毎月28日不動尊縁日(静岡市丸子)
平成5年5月から始める撮影H14年6月
平成4年東京浅草にて澤田先生と
人生総てを掛けた57年の生き様が芸暦であり、妥協を許さぬ三味の音色と語りで、 聴く人々の魂を癒す異色の芸人。 新しい分野として全国唯一、独自で歴史人物の 弾き語りを開拓。 津軽三味線界や語り芸能の世界に衝撃を与える。芸術、教養、祈りの三つを備えた 白井勝文の世界は、平成17年1月4日NHKテレビ静岡放送[たっぷり茶房」でその 活動が紹介され話題となる。 歴史に埋もれた人々の生き様、人情、誇り、滅びの悲哀や潔さなど、日本人の大和魂 を揺り動かす弾き語りはテレビ、ラジオ、新聞、週刊誌(ポスト)など多方面に紹介され ている。 |
べん べん 「会社を辞め三味線弾きになった男」
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