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中庸についてテーマ:同志からのメール

2011-12-22 07:53:06 balkrishnaの投稿
同志のMさんから次のようなメールがきましたので、今日は中庸について書きたいと思います。
先生との講義のメモをまとめていて、中庸についてのご説明がありました。
とても大事な言葉なのに、「欲に対して中庸であれ」と「無執着」という
事しかノートを取っていませんでした。
明日の授業では中庸について、補足の説明を頂ければと思います。

先ず人間は、「あるものに突き動かされて生きている」、と言うことを理解して下い。
いや私は「自分で思慮深く理性的に自主的に行動しています」と言うかもしれません。
しかし、その思慮や行動も結局は、グナ(無知、激情、徳性)の肉体から発せられたもであり、その人の本質が無知の状態であれば、想うこと考えることはすべて、暗愚であり怠惰であり妄想の想いしかできないのです。
また激情の状態におかれた人はその起こす想いはすべて、果報的であり、果敢的であり、奮闘することを想うのです。
徳性の人は、その思うことが知的であり、穏やかであり、誠実で自制的な思考行動を起こすのです。
つまり人間の魂は、魂が宿っている肉体の性質である、自然の三様式によって、振り回されていると言うことなのです。
たとえ自分では冷静に判断を下していても、その判断自体がすでに無知、激情、徳性の様式からは逃れられない言うことなのです。
従って、まずは自分どの様式に一番影響を受けているかを、自己判断する必要があります。
それにこの世の中は、幸福不幸、金持ち貧乏、名誉不名誉、暑い寒い、綺麗醜い、その他全て二元対立、二極相対と言った、対立的概念の中で生きていくよう余儀なくされているのです。
この両極端の意識が、不幸の悲壮感や、喜びの有頂天の意識、となってしますのです。
しかし、この二つの極端の本質は結局は不幸なのです。
例え幸福と思い、有頂天となっていても、それが永遠に保証される事はなく、その奥底では常に不安を抱えているはずです
それに、快楽と思える事を維持する為には、常に競争しなければならず、非常な努力をしなければならない苦労が付きまとうのです。
これが物資次元の二極相対における、絶対的に超える事が出来ない、物質次元の罠なのです。
文明社会が物質的にも利便的にも発展すればするほど、便利で快適になるけれども、非常に住みづらい世の中になってしまうのです。
この社会の状況も、個人レベルでの生活の状況も、本質的には同じなのです。
従ってそこで大事なことは、物質文明は人間が生きていくために、最低限度の物質環境に留めておく事が必要であり、それが欲望の赴くままに放置されれば、それは激情の世界であり、当然激しく苦しみの世界に突き動かされていくのです。

発明は必要の母でありますが、しかし今は、発明は必要の母となり下がってしまいました。
豊かな暮らしを求めて造ってきた原子力発電所は、人が生きていくための最低条件すら許してくれない、過酷な生活環境を創ってくれました。
これ自体が既に、今の物質文明社会の限界を示しており、文明社会の行き過ぎによる矛盾が原発事故に代表するように、各所に出てしまっております。

この物質次元の罠から逃れる処方箋としては、足るを知る「知足」であり、物事の行き過ぎを抑える「中庸」がカギとなるのです。

同志からのメール(12月17日のブログについて)テーマ:同志からのメール

2011-12-19 08:05:26 balkrishnaの投稿
昨日、同志のMさんからメールが来ましたのでご紹介いたします。
認知症についてのブログは、魂と肉体の関係がとても解りやすく説明されていますね。 
両親にも読んで貰いたいと思いました。
人間の魂はほんの些細な気づきで大きく成長する様に思えますが、正しいでしょうか?
甥たちと一緒に居て楽しかったですが、話題は「未来への不安;職を失ったらどうしよう等」、「どうしたら人生に勝ち抜く事ができるんだろう」という物質的な事ばかりでした。
「心配しても仕方ないでしょ。(神に)ゆだねることも大事じゃない?」と言ったら、「それは甘い」と言い返されてしまいました。
まさに目隠しをして欲望の馬を走らせてる図です・・ね。(笑い)

バール・クリシュナ・フミオのブログ
<人間を五頭立ての馬車に例えますと、五頭の馬はそれぞれ、眼、耳、鼻、舌、皮膚を表し、は手綱であり、知性は御者を意味し、そしてが馬車のオーナーに例えられます>

それではまた来週の先生とのご講義を楽しみにしております。

と、この様なご感想を頂きました。

「御両親さんにも読んでいただきたい」とありましたが、御両親さんもそうですが、これはすべての人々に、子供の時からこの様な、人間のメカニズムの原点を、知ってもらいたいものです。

車でも免許証を取るためには、運転技術だけでなく、車の大まかな構造の学科試験があるのと同じで、人間が肉体と言う乗り物に乗って人生を生きていくには、その肉体の物質的と精神的な両方のメカニズムの関連性を十分知る必要があるのです。

しかし実際には、ほとんどの人はそんな肉体のメカニズムには全く興味もなく、こんなに重要な事でありながらも、知ろうともしません

いや、知ろうともしないよりも、気付きすらしていないのが現実です。

その為それらの人は、肉体の主人公またはオーナーが魂であることすら認識してないのです

ただ五感眼、耳、鼻、舌、皮膚)から刺激を受け、その刺激でに想いを抱き、肉体から引き起こされる欲望に突き動かされて生活しているのが、人間生活の実態なのです。

主人公としての魂が、馬車を操る肉体の司令塔である頭脳に、魂としてやるべき責務、いわゆる人間としてどう生きるべきか、生きる目的は何か、その為には何をなすべきか、と言った生き方の根源的なる指示を、司令塔に全く指示していないのです。

ほんらい肉体の五感感覚器、心、頭脳は、魂がその目的を達成する為に、駆使する道具なのです。

しかしその駆使すべき道具は、一応自律した生体ロボットであるため、自分で生命を維持する為には、自分で思考し行動して、命をつなぐだけの自律行動は魂が無くてもできるように、精密に作られているのです。

しかしこの精密に作られた生体ロボットも、年数がたてばそれぞれの器官の機能は衰退します。

その衰退の最も激しい所が頭脳なので、その頭脳の認識力が低下して、認知症となってしますのです。

しかし、魂が自己の本質であると考える人は、先日のブログにも書きました。

<普段から肉体と魂は別であるとと言った認識を持っていれば、決して認知症にはならないのです。

魂が主体となって生きている人は、肉体の機能を魂が精神修行の為に使っており、その魂のエネルギーは頭脳をコントロールする力を働かせているからなのです>
要は、この部分が一番重要なのです。

この、ちょっとした魂としての気づきが、一生の生き方を左右するほどの重要なポイントなのです。

Mさんも気付かれました。

正しいでしょうか?なんて言う、そんな程度のものではないのです。

人間の本質は魂であると気づくことが、人間として生きる第一歩である、それほど重要な認識なのです。

しかし、ほとんどの人は、自分が魂であると認識せずに、一生を終えているのです。

つまりほとんどの人は、生体ロボットに閉じ込められ、自律した生体ロボットに好き勝手に動きまわされ、翻弄させられて、生体ロボットの一生に付き合っている、と言うことなのです。

プラトニックラブ(精神愛)についてテーマ:質問コーナー

2011-12-18 08:48:49 balkrishnaの投稿

私と共にギーターの真髄を求め、一生懸命インド哲学を学んでいる人から、次のような質問がありました。

先生、プロラトニックラブとクリシュナとゴーピーについて、十分に話ができなくて残念でした。

しかし、肉体と魂の段階までの話まではよくわかります。 また今度話をするのを楽しみにしています。

この女性には、まず始めとして、昨日のブログで書いた人間の基本構成を説明しました。

その要点として次のことを話したのです。

1−人間が生きている物質次元では、その人の行動を頭脳が司令塔として働く

2−人間には五つの感覚器(目、耳、鼻、舌、皮膚)があり、器官からは美しい、美味しいなどの感覚が生じる

3−それぞれの感覚器で生じた感覚で、こんどは愛情、喜び、悲しみ、不安、などの気持ちが心にわく

4−心に湧いた優しさ、思いやり、素直など、心にわいた想いが長年積み重ねられ、今度は魂に刻まれる

ここで重要なことは、物質的人間として生きている人は1〜3までの領域の中でしか、生活を営んでいない、と言う事なのです。

一般的に言われているプラトニックラブは、哲学的解釈からすればそれは、物資的肉体次元の事象なのです。

哲学的には、プラトニックラブは魂の活動としての愛の交歓(ラサ)を意味するものなのです。

それは必ずその人が解脱の境地であるモークシャに達していなければ、それは肉体次元である心で妄想をかき立てるだけの、見せかけのプラトニックラブなのです。

この解脱の境地(モークシャ)に達するには以前8月18日に、宗教の救われ方で書きました。

1−宗教道徳倫理などの義務(ダルマ)を果たす。

2−社会活動をして利得(アルタ)を得る。

3−享楽(カーマ)を楽しむ。

4−解脱(モークシャ)の境地を得る。

この四つの段階を正しく経てきた人だけが、持つことのできる、肉体的動物欲望を完璧にそぎ落とした本物の精神的愛情がプラトニックラブなのです。

当然そこには、その人の人生で醸造されてきた個性があり、その熟成された精神的個性でもって、精神愛が交わされるのが、プラトニックラブなのです。

また、この愛の交歓(ラサ)は、同じ種族どうしで交わされるものであり、ペットとの愛情交歓はラサとは言わず、それはまだ物質次元の心で沸き起こる愛情段階なのです。

そしてまた、人間世界で一般にかわされる恋愛感情での愛の交歓もラサとは言わないのです。

プラトニックラブにおいては、肉体的動物欲望を完璧にそぎ落とした感情とお互いが交歓しあう、精神的に確立された個別性が必要なのだからです。

そして、人生をとおして、四つの宗教の修行を成しながらも、人間の純粋性を保ち、精神哲学まで意識を昇華した人だけが、人生の醍醐味としてのプラトニックラブを楽しむ事ができるのです。

この境地に行けば死後は当然、クリシュナとの精神的愛の交歓(ラサ)を、交わす事ができるのです。

これらをまとめてみるとプラトニックラブとは。

1−解脱(モークシャ)の境地にあること。

2−すべてが魂の精神的次元であること。

3−精神的個別性が確立されていること。

以上この、三つの条件をみたしてこそ、本物のプラトニックラブなのです。

この教えはバガヴァッド・ギーターにはなく、ギーターを超越たシュリーマド・バーガヴァタムに説かれている真理なのです。


同志からのメールテーマ:私のエッセー

2011-12-11 07:49:33 balkrishnaの投稿

昨日、私と知り合いで、インド哲学バガヴァッド・ギーターとクリシュナの素晴らしさに魅了された、Sさんからメールが来ました。

Sさんとは知り合ってからまだ二カ月しかたっておりませんが、これまでも何回となくメールを下さり、以前11月25日にも質問をしてくださり、このブログでも紹介させて頂きました。

そこでのメールからも、どんどん意欲的にギーターを学ばれている姿勢が伺われますした。

そんな素晴らしいSさんからのメールをご紹介いたします。

師匠バール・クリシュナさまへ

1、田野(クシェートラ)とは日本語でどう読みどういう意味? 「でんや」?場所(部位)のことですね?
 
2、今日のブログは読めば読むほどに味わい深いものがありますね。

「魂の修行のためにある本来の肉体の全ての器官を、意識を持って適切に利用すべき」とは、「魂の修行とは心身浄化する」ことと解釈して宜しいのですね?

心身浄化とはクリシュナを信じ、自分を信じ、廻りの雑事は無視、苦しみにも耐え、ギータを学ぶことで良いのですね。

3、昨今の小生には、何らかの導きがあり師匠に出会い、ギーターを知り、クリシュナを知り、自分の傍にパラマートマーが付き添っていることを知り得たことは神聖なる神秘的な導きが起きているのだと、素直に思っていますし、確信します。
 
4、神様の采配に感謝して、更に自己の精神的発展につなげようと思います。

このメールはSさんが、、私が12月9日に書いたブログの次の部分に、感激されたのです。
人間を分析すると、魂が活動するところを田野(クシェートラ)と言います。
それは人間が精神修行をするための、頭脳をはじめ手足などの身体部位や、それに視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の、五つの感覚器官など全てを含めたものを田野(クシェートラ)言います。

そして魂はその田野をつかって、精神修行をするために心臓に宿っています。

また魂の指導やその人の行動を観察するために、魂に寄り添うように、創造主神の直接拡張体であるパラマートマーがいるのです。

つまり私たちは、全ての行動を神様に見らていると言う事なのです。

さらには、魂の浄化が進めば進むほど、魂に寄り添うパラマートマーの存在に気づくようになり、その段階になるとパラマートマーの導き、つまり神の諭しが理解できるようになるのです。

従いまして、魂に目覚めた人は、魂の修行の為にある本来の肉体全ての田野を、意識を持って適切に利用すべきでなのです。

しかし、実際には動物の肉体本能である食欲、性欲、快楽欲、そして人間の持つ物欲、支配欲、名誉欲などによって魂がゆがんだ方向に進んでいる為に、至上主神クリシュナの導きの諭が届かないのです。

もし魂が自己のやるべき責務を認識して、全身全霊の熱意、堅忍不抜の精神、そして断固たる決意をもって、心身浄化の方向に進めば、必ずパラマートマーの神聖なる神秘的な導きが起こるのです。

この様に私が書いた、ギーターの真理の素晴らしさに気づき、人間としての真理を知り、そして正しい生き方を目指そうと努力する姿勢が、私としては大変うれしく想うのです。
これこそが、私が今の時代にこの世に生を受け、使命を果たす意味がそこにあるのだと確信しております。
私は、私が教える真理を実践することで、その人が自分に自信をもって自主自立ができ、さらには自らを尊ぶことができる独立自尊を、ギーターを学ぶ人に求めています。
そしてこの世の真理を知り、独立自尊を成しとげた同志と共に集い、クリシュナマントラを唱えることを最終の目標にしています。
その為にもインド哲学バガヴァッド・ギーターを学ばなければなりません。

スカイプ仲間からの疑問 テーマ:私のエッセー

2011-12-05 07:47:52 balkrishnaの投稿

先月の11月30日に、友達の紹介でカナダに住んでいる方とインド哲学やクリシュナについて、スカイプで話をする事になりました。

その方も、精神的な話には大変興味があるようで、私の話にも素直に受け入れてくれる感じが伝わってきました。

しかし、その後メールで次のようなご質問がありました。

先生、昨日の初講義はとても楽しかったです。

毎晩夜中に目が覚めてメールをチェックしたりしているんですが、夕べはぐっすりと眠る事ができました。
「他人の心配事」に対する心構えについて教えて頂いたので、開放されたからでしょうか。

 ありがとうございました。

インド哲学の講義を勉強したいと思います。

しかし私の中には固有名詞(シュリー クリシュナ)を使っての「絶対神」という観念に抵抗があります。 
また主人の職場でのインド人とのトラブルを聞いたり、近所にシュリークリシュナを名乗る宗教団体が居て、そういう人達の活動を見ているとインド宗教って何だろう??という疑問が出て来ます。

こういう状態がマインドコントロールというか、正しい物を知ろうとする時の邪魔なのでしょうか??

そういう状態でも教えて頂ければ幸いです。

この様な質問をされているこの方は、クリシュナの真実を観ているのではなく、クリシュナの教えを基とする宗教団体の実態を肌で感じてその感じをもって、クリシュナのイメージとしているのです。

従ってクリシュナ自体の真理とは全く違った側面から、クリシュナを捉えているのです。

クリシュナの実態は、全知全能の真理、至高至福の歓喜、永遠不滅の存在、これら三つをすべて同時に兼ね備えた(サッチダーナンダ・ヴィグラハ)の存在なのです。

つまり、クリシュナの教えを利用してさまざまな活動をしている、宗教団体の活動自体とは全く無関係なものである、と言う事です。

クリシュナの実態と、その宗教団体の活動実態はまったく別物であり、それを混同して捉えることは完璧に間違いなのです。

事実、私とお話をしている時は初対面にも関わらず、この方にとっては時間がたつのを忘れるほど、至福の時であり、喜びに浸っていたひと時であったはずです。

そして、初対面でのお話でも、この方がもっていた疑問も晴れ、その夜は安らかに眠ることもできるようになったのです。

言うなれば、私がインド哲学バガヴァッド・ギーターの話をするのは、この方はクリシュナと直に話をしているのと同じことなのです

それはバガヴァッド・ギーターはクリシュナの御言葉であり、その話をする私はバール・クリシュナ、つまりクリシュナから使命をうけた降臨者だからなのです。

教えはその人の全人格そのものです、その人の人格によって教えはどのようにも解釈できてしまうのです。

つまり教えの教義よりも、それを説くその人物その者の精神性の真価を見抜くことが大事なのです。

私の教えの原理原則は、人を集めず、お金やお布施を求めず、去る者は追わずなのです

そしてこの人に私は、人に頼ることなく自分で自立する自主独立と、他者に依存することなく自らを尊ぶ、独立自尊になることを求めるのです。

そんな精神的に発展する学びこそが、バガヴァッド・ギーターの真の学びなのです。


草食系男子と男系女性の出現テーマ:私のエッセー

2011-11-27 08:22:15 balkrishnaの投稿

先日、バガヴァッド・ギーターを学んでいる生徒さんから次のような質問がありました。

先生、質問です。

いま、草食男子ってよく言いますが…

細い男の子、増えているように感じます…
体形で言えば、サットゥバなんですが…。

そう言うタイプが、最近ふえていることと、世の中の流れって、何か関係があるんでしょうか…?

またお会いしたときでも良いですが、先生のご意見が聞きたいなと思いました。

この回答としては、物質次元の観点と精神的次元の視点の両方の観点から観る必要があります。

創造主神であり至上主神であるクリシュナは、この宇宙における全ての存在を、物質エネルギーと精神エネルギーの二つのエネルギーで創造されております。

自己そのものである魂は精神エネルギーであり、その魂の修行をするために創られた人間肉体は物資エネルギーなのです。

そして、それはそれぞれは、物質と精神と完璧に独立した存在なのです。

しかし、哲学的思考をもっていないほとんどの人は、肉体も魂も同一視しており、そもそもそこからして全ての真理が、理解不能の状態に置かれてしまうのです。

とうぜん生理学的にはその原因は環境ホルモンによる影響である、と言った提言も以下になされております。

最近、東京・多摩川に住むオスの鯉から精巣の中に卵を持つものが見つかっています。また、全国の海岸で見られるイボニシ(巻き貝の一種)のメスにペニスが生えるという現象も起きています。こうしたインポセックスを始めとした「生殖異常」の例が、近年世界各地より報告されています。巣を作らないワシ、孵化しないワニやカモメの卵、子供を生まないミンク等その数は非常に多くなっています。

私も調べましたが驚いた事に、環境庁が示した環境ホルモンの化合物質の一覧では、67品目もありました。

先ずは肉体における、草食系男子と男系女性の出現はこの環境ホルモン(分泌物かく乱物資)の影響が大きいと言えると思います。

しかし大事な事は、このような状況を精神的における意義としてはどんなものかを考えるべきであり、それこそがバガヴァッド・ギーターを学ぶ意義がそこにあるのです。

その点につきましては、次回に書きたいと思います。

草食系男子と男系女性の出現(U)テーマ:私のエッセー

2011-11-28 07:36:51 balkrishnaの投稿

先日、バガヴァッド・ギーターを学んでいる生徒さんから次のような質問がありました。

先生、質問です。

いま、草食男子ってよく言いますが…
細い男の子、増えているように感じます…
体形で言えば、サットゥバなんですが…。
そう言うタイプが、最近ふえていることと、世の中の流れって、何か関係があるんでしょうか…?

またお会いしたときでも良いですが、先生のご意見が聞きたいなと思いました。

この回答としては、物質次元の観点と精神的次元の視点の両方の観点から観る必要があります。

以上が昨日までの初頭文ですが、今日はこの問題の回答を精神的次元の観点から、考察したいと思います。

彼らの性格は、優しく、争いを好まず、控え目で、女性に対しても積極的な恋愛アプローチをしなし、この様な特徴を持っているようです。

一口でいえば、昔の男性像とはかなり離れた女性的なイメージがする、中性的な男の感じです。

それに、男性の特徴である、物事に対して勇敢、果敢、と言った攻撃的な部分が抑えられているので、余計に中性的イメージが強くなるようです。

まず哲学的に言えば「魂には男も女もない」と言う事がその原点です。

これは、以前にも9月11日から16日に4回にわたり書きましたが魂は「一霊四魂」と言って、神の直霊と四つの魂の資質として、荒御霊、和魂、幸魂、奇魂、があります。

荒御霊と奇魂、は男性的資質であり、和魂と幸魂は女性的資質をあらわしております。

そして、人間としての魂を完成させるには、この四つの質性をバランスよく持ち合わせることが、人間の魂の完成とされているのです。

このバランスと言う事が大事であり、四魂におけるそれぞれの大きさは、その人の人間的特徴なのです。

それに精神的観点からの人間としての価値は、人に対する優しさ、思いやり、許す心、敬う心、であり、そして自分に対する実践行動は、正直であること、規則や礼儀を守ること、我慢すること、反省することなのです。

これらの事ができる人こそ精神的に高い人であり、それを知らず出来ない人を無知な人と言うのです。

一番大事な事は、肉体的には環境ホルモンの影響で男性的特徴がうすめられ、また精神的にはその根本である道徳と倫理が軽んじられている社会の中にあっては、彼らの性格が正しく評価されず、精神的自信を失ってしまっている状態が問題であると思われます。

せっかく人間として、サットヴァの高い資質に恵まれながらも、精神的学びのチャンスを得ることなく、生存競争の激しい社会で、うつや自殺や孤独でつぶされていく人が多いことは、悲しいことです。

しかし、こんな時代だからこそ、永遠真理を説いたインド哲学バガヴァッド・ギーターが必要なのです。


同志との出会いテーマ:これからは哲学の時代

2011-11-26 08:47:24 balkrishnaの投稿

先日よく、質問をされてこられるS氏(69歳)と二時間ほど話をしました。

彼とは平成23年10月14日に、仕事の関係で初めてお会いしたのです。

その時は、私は「インド哲学塾」の日でしたので彼を誘いました。

するとその場で「参加させて頂きます」と即答されたのでした。

Sさんも仕事での悩みや人生の生き方に疑問をもち、苦悩していた時でした。

それでも、50キロ以上離れている沼津市まで行くことを決意をしたのは、それなりに救われたいと言った想いがあったのだとおもいました。

本物の出会いは一瞬」と以前このブログでも書きました。

正にその出会いでした。

その後何回となく彼の疑問に、ギーター的解釈をもって、これからはインド哲学の時代であり、その必要性を説いてきました。

そして先日二時間以上、喫茶店でバガヴァッド・ギーターの話を、じっくりしたのです。

その時の感想がメールできましたので、私も100万人の一人に出会えた喜びとして、ここで御紹介させて頂きたいと思います。

バール・クリシュナ・フミオ様

本日はありがとうございました。2時間アツと言う間でしたね。
自分の縁というか、運と言うか。インド哲学の存在、バガバットギーターの
存在、最高神クリシュナであること、哲学が宗教以上に大事である等出会えたことの
運の良さ。一般的に言えば「俺はツイテル、ツイテル人間だ!」
出会うべきして出会ったか?
真摯に、謙虚に、素直にあせらず進むべきなのだなぁ! と思います。
ハレー クリシュナ ハレー クリシュナ・・・・

それから私も彼のところへ次のようなメールを送りました。

Sさんへ

おはようございます。
昨日は非常に楽しい時間を有難うございました。
「2時間アツと言う間」とありますが、私はいつもインド人のSさんやAちゃんと話をしていてもいつもアット言う間の感じで過ごしてます。
私とクリシュナの話をするとインド人のSさんなんかは「もう酔ってしいます」と感激に浸ってしまうくらいです。
この境地は、クリシュナ意識がない人には絶対に味わえない、それこそバガヴァッド・ギーターの醍醐味なのです
物質次元にどっぷりつかっている人は、セックス、グルメ、サイトシーイング、アルコール、スモークキング、ギャンブル、ドラッグ、など、五感での感覚でしか、快楽を得ることはできないのです。
しかしこの物質次元の快楽は結局は、深みにはまったり、身体を壊したり、破滅の道に往くことになるのです。
それは、クリシュナの厳然たるグナの掟だからなのです。
これらの法則を知らず、ただ五頭の馬に引きずりまわされる感覚奴隷の人間ほど哀れな者はないと思います。
それに比べクリシュナの話であるバガヴァッド・ギーターは、魂に真理の道を悟し、全知全能(チット)、永遠(サット)、至高至福(アーナンダ)の境地に導いてくれるのです。
当然、時間という観念は無くなるのです。
Sさんも少しだけその境地を、昨日は味わえたのでないかと思います。

読者Sさんからの質問テーマ:これからは哲学の時代

2011-11-25 08:30:59 balkrishnaの投稿
私のブログの読者の一人である、Sさんからご質問がありましたので、ご紹介いたします。

バール・クリシュナ・フミオ様へ

魂はそれぞれ独立し、兄弟でも別々だと何年か前から感じ、思っていました。

しかし家族、親戚付き合い等他とは違った人間(魂)関係がある。
それは血の繋がりだけでなく、むしろ精神的共有物によるのではないかと思う。

それが何であるかは判らない。

一般的な人間(魂)関係は物質的つながりがより強く、兄弟、家族等は潜在的に意識しない形のない精神的つながりが強い姿での人間(魂)関係ではないか?と。

最近特に親が子供を虐待、子供が親を殺すなど眼に見えない深層的な精神のつながり、絆が最も親しいはずの魂の間さえも薄れている為ではないかと思う。

現在世の中で生ずる事件、トラブルはやはり深層的な精神性の薄れによるのではないかと強く感じるのですか? 如何か?

確かに個々の魂は別々かもしれないが、より個々、別々になるのはそれだけ物質的欲望がより強くなっているためなのかもと、強く気付かされた今日である。

このS様への質問に対して私は、次のよう回答いたしました。

先ずは自己の魂は個別性を持っており、ほかの魂の影響は受けない絶対なるものです

従いまして、自分の魂と両親や兄弟との魂の、遺伝的つながりは全くないのです

それに、魂自体は精神エネルギーであり、意識であり、精神知識なのです。

それに対して、肉体は両親から遺伝的に継承される、魂の乗り物と言う物質です。

従いまして、おのずと肉体は両親や先祖の遺伝的影響を受けるのです

ただその両親の基に生まれれ落ちたり、また兄弟として関係を持つのは、今度は魂の因縁的な縁で、関係を持つのです。

この因縁的関係は、厳然たるものであり、自分自身では全く解らないようになっているのです

しかし、その理由は、過去の絆のやり直しだったり、供に修行する為に自ら求めてきたものであったり、また逆に争い合った間柄で再度カルマの解消の為に結び付けられたり、その他いろいろな理由があっての巡り合わせなのです。

その、理由を自らが感じ取り、与えられた間柄を自らの魂の発展の為に、積極的に向き合う事が必要です。

しかし、過去性において恨み合う関係にあった人は、さらにこの世でその苦しみを味わう羽目にもなる場合もあるのです。

その人の性質や人間性は、過去性の輪廻の積み重ねがベースにあり、それに今生での生活境遇で培われたものが加わったりして、出来上がるのです。

特に、今の生活環境はカリの時代と言って、無宗教であり、唯物志向であり、享楽的であり、競争的であり、それに好戦的な激しい時代となっております。

その為に、人間としての道徳や倫理など無視され、ただ欲望の赴くままに行動するのが自由だと、錯覚をして生きているのです

ご指摘の通り、現代社会における、夫婦や親子や兄弟関係の相克など、昔では考えられない異常な世相だと、私も思います。

これからはますます、経済的にも厳しい状況が予測されますので、その生活の為の生存競争は一層激しくなると思います。

だからこそ、本当の人間の生き方であるバガヴァッド・ギーターを学ぶ必要があるのです

読者からの質問テーマ:これからは哲学の時代

2011-11-21 07:34:48 balkrishnaの投稿

先日ある読者から、現在の宗教に対する人々の非常に的を得た質問が来ましたのでここでご紹介いたします。

インド哲学があり、それに沿ったインド仏教がありますが、「日本の仏教はインド哲学(インド仏教)が持つ世界観、論理、認識等が切り捨てられ、念仏とか座禅の形のみが残った」という説がありますが如何思いますか?

ここが正に哲学が抜けてしまった形なんですかね?だから、人間は何のために生きるのか?生きる理由は何か?

死んだらどうなるのか?幸福とは何だ?とかを疑問に思わずに、論議もしなくなってしまったのだろうか?

だから、真理などもっと気にしなくなってしまったのだろうか?

これに対して私は、次のように回答いたしました。

さて、疑問の原点ですが、それは部分でもって宗教を捉えているからなのです

この場合「群盲、像を撫でる」の例えが分かりやすいと思います。

ある盲人は像の足を撫でながら、像は丸太のような動物であると認識し、またある盲人は腹を撫でながら像は壁のようなものであると認識し、またある盲人は鼻を触りながら像はホースのようなものであると認識するのです。

それぞれの解答は決して間違っていないのですが、その部分だけを主張して他を知らなければ、その全体像はつかめないものです。

部分の正解は、他の部分にとっては誤解でもあるのです。

要するに全体を捉える知識が無いのに、部分の知識で他を誤認している状態なのです。

それ自体は決して間違っていないのですが、宗教は過程であり部分の詳細に過ぎません。

例えその部分の教えを詳しく知り修行しても、それがすべてと判断するのは誤認です。

従って、宗教全体の捉え方をしっかりつかんでいなければ、分部に陥って独善的な判断をしてしまう宗教の危険がそこにあるのです。

宗教の上位のカテゴリーである、哲学を学ばなくしては決して宗教の独善の罠からは逃れられない、と言う事でしょう。

五階に昇れば、四階の屋上で行われている事はすべてはっきり見えるのと同じ理屈です。

精神世界の階段は、躾、道徳、倫理、宗教、哲学のこの五つの段階があり、哲学を修しない限り宗教の全体を理解できないのです

宗教はその人の性格に合った、また好みに適した、修行の一つの過程であり部分に過ぎないのです。

しかし、こんなに重要な哲学を学ぼうとする人はほとんどいません、哲学を深く知らなくても、宗教の全体としての体系を知るためには、絶対に哲学の初歩でも学ばなければならないのです。

つまり哲学を学ばなくして精神修行の完成はあり得ないと言う事です。


平成23年7月7日

バール・クリシュナ・フミオさま

こんにちは!
今ちょうどメール送るところでした!

先日は、私も先生の明るい声がきけて嬉しかったです♪

最近、有名な気功の先生の講習会に参加したところ、その後の重要な方達十名ほどが集ったお食事会に、運よく同席させていただくことができました!

先生の最近のブログの内容に関係するお話しがありました。
話しが通じない、教えが通じない理由について…。
もちろん、魂レベルのことではありますが、その方の表現では、次元が違うと違う意味にとられてしまう、だから、伝わらない、という表現でした。
なるほど、魂レベルの違いは、次元の違いでもあると。だから、言葉である以上、通じる通じないがある、というお話しを聞いてきました。ちなみにその方は、ヨガから悟りを開かれた方でした。

私が今もとめていることは、今の私に必要なことで、その為のご縁を、大変幸運な形でいただくことができています。不思議な程で感動してしまいます。

私は、神様のお役にたちたい思いで動いています。
先生にも、いつも感謝しています(^^)☆

木曜、楽しみにしています!

あさより


平成23年6月6日
バール・クリシュナ・フミオさま

こんばんは。
数日の間のブログ記事について、学校講演のお話し、スカイプ無料口座のお話し、素晴らしい内容ですね!

その前の魂の話し、実践哲学の話しも、大変よいお話しですね。
魂の存在や意義に気づいたら、実践してこそ判ったことになる…本当に、おっしゃるとおりですよね!浅いところの判ったでは、行動に移しにくいですし…。

最近いろんな方面からの考え方を勉強していて、浅い教えもたくさんあるけど、素晴らしい教えもたくさんあって楽しいです!
だいたい結局はギーターにも通じる話しになりますが…。

いろいろ知るとギーターの味わいも深くなり、素晴らしい感覚となって心身に行き渡ります。
私にとっては、ギーターから入り、他の教儀もいろいろ知り、それによりギーターの理解をより深める…という順序が合っているということで、神様はそういう流れを用意してくれてたみたいです。

私の近況について、先生がコメントくださいました内容に、第三者の目で自分を見るってことがありました。

悟りを目指している方達の間では、これも目標のワンポイントみたいです。
私は自分がそういう段階にまだないと感じていますが、私の文から先生がそんな感じを受けられたのなら、その段階を実感するのも間近かもしれず、嬉しくドキドキしています♪

真面目に修練がんばります!!

先生の一日、悟りの蜜の味わいをたっぷりと楽しめる日でありますよう、お祈りいたします♪

あさより

平成23年5月30日

バール・クリシュナ・フミオさま

こんにちは!
自己実現ということに向けて、私は少しずつですが毎日何かしらのことをしています。
まずは頭の感覚で理解することと、それから体と精神を浄化することは、
どちらも自己実現には必要と思うのでやっています。
いろんな人の話しを聞いたり読んだりすると、あらゆる宗教の行き着く先には「神的な愛」がありますね!
その光は、ヴェリンダーバンの光ですね。
今、ホントに自殺が多いです。
精神哲学の腕を磨くと同時に、私なりの「癒しの技術」を覚えていきたいと思って
日々修練をがんばります!
一人が精神哲学のもたらす幸せに気付きその道を歩みだすと、
周りにも波紋のように幸せな浄化が起こることが、実際あるみたいです!
その波紋が確実なものになっていくかはそこにいる相手次第ですが、素敵な連鎖はありえると感じています。
先生の毎日も、クリシュナの光に包まれたものですね(^^)☆
神的な師弟愛、ありがとうございます!
あさより


平成23年5月28日

バール・クリシュナ・フミオさまこんばんは!
昨日は素敵なプレゼントを、本当にありがとうございました!可愛い招き猫さま、とても気に入りました(^^)♪

可愛い猫さまをお二人で選んでくださったり、その為の貴重なお時間を私にかけていただいたこともありがたく、
とても嬉しく思っています。奥様にも、私の感謝をお伝えいただきたいと思います。
飲み物代金も、ホントにすみません(>_<)まったくふとどきものでした(>_<)ありがとうございました。
blogについてですが、物質的な教えとの違い、哲学の魅力がよく伝わる内容になっていると思います。
哲学はさることながら、普段何かをじっと考える習慣のない人には具体的にイメージすることは難しいかもしれないけど、
「どんな世界だろ〜?」って思いを馳せさせるWonderな深みがあって、素敵な世界を表現、伝えられていると思います。
百万人に一人というのは、ほんと凄い数ですね!
私もその一人というくらい貴重な師弟関係ということで、日々心身浄化の修練を、コツコツとしていきたいと思います。
昨日の、共振とかウナリのお話しも素敵で心に入りました。
近いけどちょっと違うのがいい!って、楽しいです。
似すぎていたり完全に違う相手も勉強にはなるけど、何かが創造されのには「ウナリ」がいーのでしょうね☆
勉強になりました♪
変な時間に寝ちゃいましたので、今日の勉強や修練は今からです。静かな時間、有意義に楽しく過ごします。
先生とご家族の皆様は、よい夢の世界を…o(^-^)o
あさより♪

平成23年5月23日

バール・クリシュナ・フミオさま
ギーターの本文抜粋作業は今五章に入りました。
昨日は時間的にできなくて、おとついと今日でなので、一度はじめると二章分すすむ感じになっています。
本文だけのタイピングだと進むの早いな〜と思って時計をみると三時間過ぎています。これはとても楽しい作業のようで、
時間の感覚がなくなるみたいです。
先生のblogも順調のようですね!精神的活動は素晴らしいものですよね。神に捧げる行いですね。
私はいろんなヨーガを少しずつ勉強中です。気功もその一つです。魂の為に心や体はありますから、
それを浄化する方法はどんなものでも尊く感じます。こういうものに繋げてくださる大きな力に大きな感謝を感じて、
私は神様へ捧げる次の行動を思索するのです。
日常的なことでも小さなことでも、神様を慕うと、人の行動はピュアなものへと変化していきますね。
私が既に写したギーターの部分で言っている献身奉仕とは、こんなふうに人をピュアな状態にしていく為の諭し
ではないかなと思います。
それは、ピュアな精神状態でいられることが悟りへの第一歩であり、宗教や哲学が目的とする
大きな部分「精神の幸せ」という状態だからかなと思います。幸せな人にしか、人を幸せにできませんよね。
人を本当の意味で幸せにする=教えを与える為には、ピュアが必要なんですね。
だから、バールクリシュナである先生の大きな特徴に、「純粋」があるのですね。以上が、
五章の初めまでを本文抜粋して、今まず思うことです。
人はまず神を慕うことで純粋になれる、それが悟りに達するための第一歩といったことを私は感じました。
ギーターの本文、素晴らしいものです!
ギーターに感謝、先生に感謝ですo(^-^)o
あさより♪


平成23年5月21日

バール・クリシュナ・フミオさま
こんばんは。
blog、良いですね!アメーバはいま沢山の方が使っているので、先生を知らない人達の目にも入ることが多くなり、
良いことですね♪毎日更新とはすごい決意ですね!これから先生のblogをチェックする人は…
先生の現代社会への思い、道徳的な知識、一弦供養の心もさることながら、先生の人となり等も知りたいと
思うので(凄い人に親近感を見つけたいという読者の気持ちがあるから)…
普段のなにげないことや、先生が少し感じたこと、きれいなものを感じたことなど、いろんなことがそのblogに
蓄積されていくと良いですね♪楽しみですね!
私のギーター本文打ちは、二章までおわりました。やってみると、これはなかなか有意義なことみたいです!
本文だけでは意味がわからないところだけ解釈を見る感じでも、今のところ十分な気がします。
本文だけの良さが、ここまででもかなり感じられます。先生にもはやくお届けしたいです♪♪
いろんな宗教がありますが、皆いろんな切り口で、深いものですね♪
感覚の中で、ある一つの教えと別の意外な教えが一本の線になったり、自然の神様がクリシュナと融合したり、
素敵な一面を見せてくれます。今日もクリシュナの光をいただきました。
ハレークリシュナ!
「クリシュナありがとうございます」ですね♪先生も、いつも本当にありがとうございます(^^)
あさより


平成23年5月19日
バール・クリシュナ・フミオさま
こんばんは!
最近わたしは、気功的な心身の修練をしています。クリシュナを感じることのひとつです。
日々、俗世のほこりにさらされている私たちの年代には、感覚的に有効な感じがします。
クリシュナを感じる体のあらゆる器官や精神への有効さを実感します。
今、ギーターの美しさを改めて感じるため、私なりにちょっと試みていることがあります。
それは、解説抜きの原文だけをパソコンで打ってまとめてみるというものです。
協会のだしている本の解説も素晴らしいものだけど、協会側の解釈を全く抜きにして
原文からだけで何を感じるか。それを、自分で感じてみたいからです。
何がわかるかわからないけど、意味ないかもしれないけど、やってみています。
終わりまでいくのに大分時間がかかりそうですが、全部打ったら先生にもお渡ししますね。
下三分の一を白紙にして、それぞれ自分で解釈を書き込めるようにします。
全部打つって誓いの意味で、先に先生にお伝えしておきます。
私は、今日も一日良い日を終えられました。
先生の明日に、かわらずクリシュナの優しい光りが注がれますように。。
ハレー・クリシュナ
ハレー・クリシュナ
クリシュナ クリシュナ
ハレー ハレー
あさより

平成21年11月24日

本物に出会う歓び
本物の所に本物が集まる。波長同通または類友といいますがこの言葉は真実なんですね。
今思えば私の過去は快楽と欲に溺れていたようですが、「何かが違う」といつも思っていました。
そして快楽の限界を知る事となり、快楽と欲では幸福にはならない。何故ならうつ病になった
ではないか!しかし神仏の御言葉に従う生き方をするとどのような事が起こるのか?
それを知るまでは死んでも死にきれない。と思っていました。そんな過去でも無駄なものは確かに
なかったと今ハッキリ理解出来ます。しかし私の使命とは何ぞや?「これが解るまでは死んでも
死にきれない」と思うが、ゴールしたような気分の中いつでも迎えが来ても良いと思っていましたが
ギーターに出会い師に出会った事で次は飛躍だと勝ってながら思っています.。  (M
・ K) 

その後も(M ・ K)さんからは毎晩、メールが届いております。私との出会いで彼の精神的境地が、
ドンドン変わっていく様子が見て捉えられます。でもそれは彼が真摯に、精神的成長を計ろうと
実践努力されているからでしょう。うつ病のどん底を味わった彼が今この様な心境にある事と、
彼の今後の生き方に期待と喜びを感じております。
                                       バール・クリシュナ・フミオ

平成21年11月22日

今日はお忙しい所ほんとに有り難うございました。
快楽と欲が渦巻く世の中にいながら快楽や欲を離れ神仏と歩む喜びを知ってから人生が大きく変わりました。
しかし何の苦しみも感じない今、ぬるま湯につかっている自分にほんとにこれでいいのか?と疑問を持つように
なりました。
嘆き苦しみもがき恐れていた時のあの頃真実を知りたく成長したくてしたくて求めちぎったあの情熱とパワーそ
してストイックさを懐かしく思いだします。
さらなる飛躍の為に今日は、会いにきました。本物の師に会えて今日は感謝しております。神仏の導きだと
思います。 今後ともご指導ご鞭撻よろしくお願いします。  (M ・ K) 

ようやく出会えました
これと言った体験のない人達の机上の空論を聞くのは時間の無駄だと思っていましたが師に会えて
今日は本当に良かったです。ギーターを徹底的に極めたいと思います。
帰りの電車の中で1章40節を読んで自分が立てていた仮説がハッキリと書いてありました。
驚くと共に、自分の魂が正しい道を歩んでいることに確信を持つことが出来ました。
ギーターに出会い、師に出会った事は次の大きな飛躍になる事を暗示しています。
感謝です。 (M ・ K) 


久々に、HPでお経を聴いて「是非あなたとお会いしたい」と言ってこられた方がおりました
電話で話を聞いたところ、彼は人生の苦悩を味わい、すがる想いで自転車で一月掛けて
四国の88箇所霊場参りをされたとの事でした。それにより鬱の病からも解放され、新たな人生を
踏み出す為にも、いろいろな宗教団体やお寺や大学の哲学の講演などを廻り歩いたようです。
しかし、納得できるものがなく、遂に私のHPにたどり着いたとの事です。
そこで昨日21日(土)に品川から新幹線で会いに来られ二時間ほどお話を致しました。
そして、その夜次のようなメールが二通届いておりましたので、彼の許可を頂き、公表させて頂きます。
彼の素直な気持ちが伝わってきて、私も少しは人様のお役にたてたと、喜んでいます。

                                        バール・クリシュナ・フミオ
平成21年6月18日

先月の五月六日に、ある男性とお会いした。その方は私の理趣経をお聴きになって是非とも貴方と
お会いしたいと電話で話をしてきた。その時はかなり悩みを抱えておられた様子でしが、私は「私の理
趣経をお聴きになって是非会いしたいという方なら、貴方は何百万人に一人いるか居ないかの凄い
方でしょう」と言いました。果たしてお会いしたら「自ら発明した技術を持って世界を救済するのだと」
言い放ったほどの、ど偉い人物であった。その後何回もお会いしているが、今の科学常識では理解
出来ないほどの驚異的な技術を見せてくれました。そして準備段階でもあるが、それをブログで公表
している。既にヤフー検索で
「世界救済」と入力すると、トップページのトップにランキングされていた。
今は、驚きと期待を持って見守っています。
                                        バール・クリシュナ・フミオ


平成21年6月4日

至心と云って良いのか?誠心と云うのか?
白井氏の一心不乱に唱える理趣教には聴いているだけで人々の
心を浄化する力があります。

この響きの中に絶対境地と重なり合う瞬間が訪れます。
そのなんここちよいことか。

人間は他の生物と違い余分な事を考えてしまう生き物です。
生き物がただ生き物として一生懸命生きる。
その姿こそが美しく尊いのだと云うことを白井氏から発せられる
至心が語りかけます。それでいいのだ それいいのだと 。

                         KEIJI SADA

最近佐田さんは、理趣経を寝ながらお聴きになる為に、給付金でデジタル・オーディオを購入さ
れたそうです。その寝ながらお聴きになった、ご感想をお寄せいただきました。この様に少しでも
私の読経が人々のお役に立っている事に大変喜んでおります。
又その他、皆様からのご感想をお待ちいたしております。
                                              バール・クリシュナ・フミオ

平成21年 2月28日

「おくりびと」は、納棺師の仕事を通して、本当はみな目を背けずに考えなくてはならないこと→「死生観」をテーマに、
観る側がスムーズに観られる風に、大変うまく作られていましたね!
日本の受賞は、確か五十何年ぶりとのこと。この映画が世界的に認められたことは、葬祭業に携わってる一人として、
またこの映画を好きな一人として大変嬉しく思っており、まるで関係者の身内のような気分です。
最近は、葬儀の終わったお宅に伺うことがありますが、ギータを通して先生に教えていただいたこと、特に霊体は心、
ということなどが遺族と話す際に役にたっています。
遺族の方で、故人が見えてしまって不安になっている方が時々います。わたしはそういう方とお話しして、少しですが
気を楽にしてあげることができていると思います。これもクリシュナが私に授けた使命のひとつのように思います。
ギータを知り先生にその内容をご教授いただかなければ、、私は葬儀の仕事に携わることはありませんでした。ギータと
白井先生により、自分がしなければならないことが明確に解るようになったのです。今、迷いなく自分のすべき仕事をし
ていられることをありがたく思っています。
                                                            N S

この方は自ら納棺師を希望して、新しい納棺師の職業価値を構築しようと努力しておられる方です。
幼い時に臨死体験をしており再度この世に生かされている人です。それだけになぜ再び生かされているのか、
その使命を模索し行き着いたところが葬儀の仕事であったようです。
今、納棺師にスポットを当てた映画「おくりびと」が映画界で話題になっています。
納棺師は、ただ遺体の処理をする職業と言った差別と偏見に満ちた職業である筈ではないのです。
悲しんだり恐れたりしているご家族の心のアフターケアーまで出来る、精神知識を備え、更に生活においても
神聖なる生き方をしている人が本来なるべき神聖な職業だと思います。その為にこの方のはガヴァット・ギーターの
哲学を学び、その教えに沿った生き方に努め、自らを正して生きている方です。
遺族の心のアフターケアーまで出来る納棺師として、新しい価値ある職業理念を打ち立てたいと燃えている方です。
魂とは、神とは、生きる目的とは、物質次元の知識と精神的知識の違いとは、これら哲学的な知識を持ちえてこそ
人々を導く事ができ、葬送の資格を持つ人なのです。こんな人こそ正真の「おくりびと」ではないでしょうか。
この方は今までにない納棺師のあり方を切り開く、精神的開拓者だと思います。この映画が各地で放映されれば、
今後ますます葬儀のあり方にもいろいろと波紋を広げていくでしょう。
                                                  バール・クリシュナ・フミオ


平成21年 2月18日

白井さんの唱えるお経と云うものを朝な夕なに耳を澄まして聴いておりますと頭の中が
すっきりします。

朝 一日の始まりに聴く白井さんの身体から発せられるすがすがしくエネルギッシュな
音声は私に元気をあたえてくれ今日一日の無事を約束してくれます。

又、不思議なもので就寝前に同じお経を聴きますと今日一日の感謝の気持ちが自然に湧い
てきます。これは何故なのでしょうか?

お経の持つ不可思議な力のなせる業なのか それとも白井さんから発せられる言魂の所為
なのでしょうか。

お経を唱えると云うことは 意味はわからなくても社会の中の 自分とは何か、人間とは
なにかと云う事を無意識に問うていることのように思われます。

昔から読書百篇意自ずから通ずと申しますが ただただお経を聴いているだけでとても良
い心持ちとなりいつの間にか自分自身と対話する自分がいる事に気付かされます。

般若心教も少しずつ工夫されておられるようで白井さん 本当にありがとうございます。
                             合掌  
KEIJ SADA 

私の読経に少しでも効能を感じて頂ければ、感激です。今までの人生で培われた私の生き様
総てがこの読経の中に篭められております。人間の生き方としては常に「精神知識の養成
と心身の浄化」これに尽きるのです。そして最後はただただ読経とマハーマントラの唱和
に没頭するだけです。今年からその為の活動として読経の会を始めましたので今度は実際
に読経して更に体得を深めてください。更なる境地を味わう事が出来ます。
ご感想をありがとう御座いました、又お便り下さい。
                            バール・クリシュナ・フミオ

平成21年 1月31日

早速入れていただきましてありがとうございます。
Gu−Gugu−Gu−です。
ただただ 理趣教はいいですね。音響設備かマイクかわかりませんがとても奥行きの深い感じがします。
ペ-スもとても良く最初ゆっくりとした源流に初まり序々にリズミカルなながれに入り軽快なテンポにかわってゆき
そこから軽快なテンポのなかに適度な強弱がありそれが続きます。最後は大きなゆったりとした流れとなって
大海に
注ぎます。欲を言えば般若心教にもそれを求め何度でも時間をかけてゆっくりと日本一の唱和を目
指してください。 勝手なこと云ってるよね佐田君も   ごめんなさい。 

                                                
KEIJI SADA

先日佐田さんから、呪文ふうに読経をして頂きたいと希望がありました。それは「瞑想用にゆっくり読経する
よりも、呪文を唱えるように早く読まれた方が、頭の中で文字を自然に追うようになり、かえってお経に集中
するようになる」と言っておられましたので、早々に録音しなおしました。とりあえずの録音ですので、再度
納得いくようなものに仕上げたいと思っております。それから音質の件ですが、アンプは真空管マイクアンプ
でマイクはシュアーの58ベータを使っております。その点は音響メーカーに勤めてましたので音には気を使っ
ております。                          
                                                 バール・クリシュナ・フミオ
平成21年 1月21日

白井さんにはいつも驚かされます。
こんなにも人を信頼し身構える事無く自分にバリヤーを張らない人はめずらしいと思います。
今度もマントラの会を起こされ非組織とし開かれたそうですが、広場のように誰でも自由に出
入りでき瞑想唱和すると云う、一見新しいように見えるこの形態も実は、我々が子供の頃ごく
自然に空き地のような広場に出向き、友と自由に語り遊び飛び回り無限の時を過ごした夢のよ
うな日々によく似ていると思います。この感性は白井さんならではと云わざるをえません。
私は宗教とか哲学とかと云うものはよくわかりませんが、瞑想唱和すると云う事は生きながら
にして天国とか浄土とかに居られると云う事になるのでしょうか。
いずれにせよ金にまみれ物にあふれた現代人の心は白井さんの云う通り疲弊しているかもしれ
ません。行き場を失った魂のオアシスとなることを祈っております。


                                KEIJI SADA


SADAさん投稿有難う御座います。今は三人だけでのマントラの会ですが。そこでは絶対神クリ
シュナへの愛慕、歓喜、崇拝、の三つの気持ちでマントラを声明しています。SADAさんが言わ
れますようにそれは「
瞑想唱和すると云う事は生きながらにして天国とか浄土とかに居られると云
う事になる
」と正にそのものズバリです。そしてまた「我々が子供の頃ごく自然に空き地のような広
場に出向き、友と自由に語り遊び飛び回り無限の時を過ごした夢のような日々
」と同じく、神との戯
れでもあるのです。そして、SADAさんが言われます様に、行き場を失った魂のオアシスとして、
この会を広げて行きたいと思っております。またお伺いした時は感想をお話いたします。


                                            
バール・クリシュナ・フミオ

平成21年 1月15日
私(バール・クリシュナ)は今年還暦を迎えました。つまり生まれ変わり、新しい人生の出発の年に
なるのです。これから残された人生は今まで修行してきた集大成を、多くの人に広める時期が来た
のだと、とらえております。そんな意味からも魂の究極の救いである、サンキールタン・ヤグニャー
であるマハー・マントラ般若心経観音経理趣経をあげるマントラの会を発足します。
マントラの会の発足にあたり、永続的な活動を続けるためにも、会の趣旨を明確に記述し、基本
方針の確認をするものであります。以下この会の趣旨を御覧下さい、そして多くの方々の参加を
お待ちいたしております。また詳しいお問い合わせはメールにて問い合わせ下さい。

平成20年12月8日
インド哲学のバガヴァット・ギーターはわかりやすく伝えられているので、何度も読ませていただいています。
ありがとうございます。HPの見やすさと膨大さで、熱心に作られている事を感じます。
長年鍛えられている声で道徳と哲学を聞けるこのホームページにであってうれしいです。
写真、ライブの三味線の演奏、語りがあって、内容は盛り沢山です。さらに定期的に更新が行われているので
毎回新しい発見があります。インド人の私はバガヴァット・ギーター哲学のページが大好きです。

                                                       
-PSN-

PSNさんはインドご出身の方ですが、日本には既に20年間も住まれており、日本語も達者な方です。
そのPSNさんと9年前にバガヴァット・ギーターを通じて知り合い共に学びあって現在に至っております。
哲学の本場である、インドの方にこのバガヴァット・ギーターを愛読して頂いている事は、私にとっても
非常な励みになっているのです。

ちなみに私のバール・クリシュナのフォーリーネームはPSNさんから付けていただいたものなのです。

                                 
 
                                  バール・クリシュナ・フミオ

平成20年10月22日

ギータは、白井さんから聞いたことしかありませんでしたが
初めて、クリシュナの瞑想を聴き、身体の浄化を感じました。
 
言霊と言ったら良いのでしょうか?
ハーレークリシュナと聴き、唱えると身体にプラナがチャージされます。
 
ぜひ、日ごろの古くなったものを取り去る、クリシュナの瞑想を実践してみてください。

                                       - H・H -

H・Hさんとは9月に初めてお会いした方ですが。彼女は半年前にクリシュナの写真
を買われ、それを部屋に飾ってあるそうです。
そんな経緯からか、きっとクリシュナが私と会わせてくれたのでしょう。
その時彼女は、いろいろと生き方に疑問を持っておられ、クリシュナのお話とマハーマ
ントラ
の瞑想をお勧めいたしました。
今回は、その後聴き続けてこられての感想をお寄せ頂いた訳ですが、体験者からの
お話ほど説得力があるものはありません。
また皆様方からのお便りをお待ち致しております。
                                   バール・クリシュナ・フミオ

平成20年10月8日
いつもHP拝見させて頂いております。大変参考にさせてもらっています。
ありがとうございます。
 
白井様からすすめていただいた「バガヴァッド・ギーター」を通して
気づいたことを思いつくままにお話させていただきます。
 
私は、「バガヴァッド・ギーター」から「〜に仕える」ことが本来の姿であると教わりました。
「〜に奉仕」でなく「〜に仕える」です。
大河の一滴の水が蒸発し雲となり雨となって帰ってくる。
このサイクルは一滴の水が様々な力に翻弄されようとも大河を忘れず戻ってくる。
「〜に仕える」はこのような自然の営みの根本力と同じではないでしょうか。
人の足とか手とか各部分が全体の為に不平不満なく働いている。まさしく仕えている姿です。
考えてみれば我々社会もすべて「〜に仕える」という仕組みに由来するエネルギーで成り立っている。
すべての大自然の営みは、「ささげあっている」「仕えている」 そういえます。
 
この「〜に仕える」エネルギーしか私達は、本来持ち合わせていないのです。
ところが物質世界に入ると、このエネルギーが変質し欲望に変わり、その人の心に応じた様々な要求(カルマなど)
が発生して、叶わぬと怒りになり、妄想・幻想を生じ傲慢な夢を見る。
傲慢な夢とは正義を忘れ・礼を忘れ・誠を忘れ・尊敬を忘れ・智慧を忘れ・自他一体感を忘れ・・・・。
 
そうか!「〜に仕える」にフォーカスし、動き回る心を制御すればいいんだ、すぐそこに帰れるようにすればいいんだ
と気づかせていただきました。
きっと私のどこかで捜し求めていた事のように思います。
物質世界から逃げようも無く、意味あって存在するのですが、「〜に仕える」の実践でより早く宿題を
片付けてしまえるのではないでしょうか。
大変「運」が良かったと思っております。
 
「感謝」「言霊」ですべてをプラスにプラスに受ける祈りの精神行があります。素晴らしい行です。
しかし、私のハマりが浅いからなのかもしれませんが、何かが必要な気がしていました。
積極的に「〜を文句なく受ける」態度は、精神力が弱まると、物質世界のエネルギーに押し切られそうになります。
これをもう一歩進めて、「〜に仕える」と心の中で強く宣言することで、私は何か足りなかったものが埋まったような
気がしました。
自我よ!でしゃばるなひっこめ!と叱咤するような気がします。
 
「〜に仕える」という言葉は、封建社会の主従関係のようで、日常使ったり意識する事はめったにありません。
しかし、人が生まれてから、仕える対象をはっきり自覚できれば、宗教の重要要素「無我」の実践行為
に他ならないのではないのでしょうか。
 
従属的ではなく、自分の意志でハッキリと「〜に仕える」を意識して社会生活を送る工夫は
精神修行に大変有効な方法だと考えます。
 
精神本が巷にあふれていますが、精神世界の住人を自認するには、「〜に仕える」と言う事が明確である事が
絶対条件だと思うようになりました。
対象は親・恋人・先輩・上司・政治家・社長・監督・自分・・・お金・・・など様々でしょうが、
亡くなったり失ったり変わったりで仕えることが出来無くなるのではなく、一生を通せるものです。
  
人は「〜に仕える」もっと謙虚に言えば「〜に仕えさせていただく」ところに疑念のない
幸福感が隠れているように思います。
「〜に仕える」から人生は自然で楽(ラク)で力の発揮が可能ではないでしょうか。
  
少々強めのイメージで表現すれば、仕える対象にマハーマントラバガヴァッド・ギーター参照)で無限のアンカーを
打ち込み「〜に仕える」ことへの「確信」を強めていけばいいと思います。
「見ずして信じる者は幸せなり」といいます。
「確信」の事を言っていると思います。
「バガヴァッド・ギーター」は随所で「確信」せよといっています。
 
「あなたは、何の宗教を信じていますか?」
ではなく「あなたは、何に仕えていますか?」
この問いのほうが今はすぐれていると思います。
  
最近、映画「マトリックス」を観ました。
赤い錠剤を飲み真実の世界を知る。
「バガヴァッド・ギーター」を読み、あなたの知らない真実の世界を知る。
わくわくしながら映画を観る様にわくわく読むのが「バガヴァッド・ギーター」を読むコツです。
 
今の社会の不気味な混乱は「〜に仕える」を見失った混乱なのかもしれません。
自分が自分に仕えて(縛られて)ショートし発熱している様な気がします。
  
何に仕えるかは決定的に大事です。
バガヴァッド・ギーター」に間違いなく書いてあります。
この聖典に答えを探してみてください!
是非「バガヴァッド・ギーター」を読んでみて下さい!
  
とりとめも無く思いつくままに書かせていただきました。
  
                          ー 天施氣 ー

メールを有難う御座いました。天施氣さんは「てんせき舎」と言う、癒し系の喫茶店を25年
近くやられている方で、私も会社勤めをしている頃からのお付き合いです。
当時から、精神世界に造詣の深い人で、私が薦めたバガヴァット・ギーターにも素直に
入り込んで学んでおられます。彼と会うたびにギーターの哲理の新発見に喜び励ましあう
仲です。これからも共にバガヴァット・ギーターを学び合って悟りの境地を深めたいと思います。
皆様も是非一度、「てんせき舎」さんのHPを御覧になって下さい。

                                         
                                    バール・クリシュナ・フミオ

平成20年9月22日

こんばんは!
二、三日前に、あと少しで先月の総カウントを越えるなと思っておりましたが、
みるみる伸びてきていますね!
 トップページの背景もしばしば変えられていますね。
パッとトップが映ったときに背景が変わっていると、
大分更新された感があって良いですね。
常連さんも見に来る度に楽しみのあるページになっていると思います。

 癒しというのは、ただ単に力が抜ければ
良いわけではありませんね。
本当の癒しと言うのは、生きていくことに安心を感じられなければなりません。
その為には、
「人生は本来、大変だけどそれ以上に素晴らしく、期待して良いものだ」と
思えるということが必要なのだろうと思います。
 ただの「心地よさ」だけの癒しでは、
マッサージ程度の一時しのぎの癒しだけになってしまうのだと思います。

 みな本当の癒しを求めている今、
三味線の音や先生の読経はリラックスを、
そして先生の生き方からは
 「自分の生き方は自分で決めて良いもので、 人生は可能性に満ちていて、
正直に楽しんで良いもの」
という勇気をくれるものだと思います。

 それらの要素が集まって、先生のページは見ている人に、
前進する気力やワクワクを
発信しているのだなと感じます。
これが真の癒しだと思います。
先生には、真の癒しに必要な要素が揃っているのだと思います。

 世の中、癒しという言葉が溢れています。
しかし本物の癒しはなかなかありません。
先生の世界には、この「真の癒し」があるのです。
先生の癒しは、唯一無二のものだと思います。
これからも更新大変だと思いますが、是非頑張ってください!
応援しております。

下記に数式のようにまとめます。
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  日々の疲れを取る音  +   人生の楽しさ奥深さを再確認  + 魂の存在を学ぶ
(→三味線読経マントラ)   (→先生の人生、写真の笑顔も   (→魂を信じられるよ
                    皆に楽しさを分けてくれます)     うになることが大事)                       

イコールが、「真の癒し」(真の安心、安心して生きていける力)・・ということです。
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

そういうことを思いました。 

メール有難う御座いました。私の願っている事をズバリ代弁してくれているほどの内容で
とても観察力優れたものです。
このパラン・ダーマは私が独学で身に付けた、芸術、道徳、宗教、哲学の総てを表現して
いるものです。
これからは魂として目覚め、本当の生き方を知る時が来たのです。パラン・ダーマがその
覚醒の一助となって頂ければと思っております。 有難う御座いました。 

                                      バール・クリシュナ・フミオ                             

                 皆様のメールをお待ちいたしております。
            

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