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                         人生は変えられる 76.9 FM-Hi!!

         学校公演 生き方講座 
        
( 釈尊の教え)
                                     

          <人は食するだけに生きるのではない> 

                                        制作&語り 白井勝文
           我も耕す

     釈尊が托鉢で、ある村に訪れた時であった。

       春の種まき準備に、忙しく働く使用人に農家の主人は、

     朝ごはんを配っていた。

 

     その時姿勢を正した、托鉢姿の釈尊が、主人の目に留まったが主人は、

       その分け前を施そうとはせず、それどころか彼は、

     つかつかと釈尊の前に近づいて行き、言葉を投げかけた。

    「沙門よ、われらは自から種をまき、耕し、自から取入れをして、

     食を得ているのである、沙門よ、汝もまた自から種をまき、

     耕し、自から収穫して食するがよい」

 

        その言葉は、自から労働することなく、精神修養を、生きる糧と

     する者にとって急所を突いた言葉のように思われる。

     そして釈尊は、その言葉に対し

 

    「主人よ、私もまた種をまき、耕し、食を得ているのである」

        主人は釈尊の、予期せぬ意外な答えにけげんな顔をし、
 
     訝しげに見つめるのであった。

 

       そして主人は、釈尊の牛も、鍬で耕す姿も、見たことも無き故にあえて、

       その真意を問いた。

 

      「汝は自から、耕す者なりと言うも、我は汝の耕すを見たること無し、

     われは敢えて、汝に問わんとする、我らはいかにして汝の耕すを、

     知ることを得べきか」

     その問いに釈尊は、静かに答えた。

 

    「信仰は種なり、自制は雨なり、智慧はくびきに繋ぎし鋤なり、

     決意はその柄にして、不動心はその縄なり、

 

     身において守り、語りにおいて守り、食するにはよく量を知り、

     清浄をもって草刈となし、修行に励むは我が休息なり、

 

    精進は、重荷を負うて行く牛にして、我らを悟りの境地に運ぶ、

    我ら行いて帰ることなく、我らおもむきて悲しむことなし、

 

     かくの如きが我が、心の耕しであり、悟りはその収穫なり、

     我らかくの如く心(精神)を耕し、全ての苦悩より、解脱せり」

 

 

   人は自から、額に汗して耕し穀物の、良き収穫を得るのは尊い事であり
 
    まさに、主人の言うとおりである。だが人は、自から耕すものは決して、

     田畑のみには限らないそれは、人の生きるは、食べる為だけに、

   生きるのではないからである。

   人間精神の荒野を耕し、精神的悟りを得て、人生の苦悩から解かれる修行も

     釈尊は、「我も耕すと」と、語ったのである。

 

        我は教えの対価を受けず

       主人は釈尊の、説かれた真意をようやく理解し、

     納得することが出来た。そこで主人はうやうやしく、

 

    「尊者はまことに、耕す人であらせられる。

     尊者の耕すは、精神の荒野であり、

     人間を苦悩から解き放つ、修行であることを、

     私は今、納得することを得ましたどうぞ尊者よ、これを受けたまえ」 

       と言って、朝ごはんを施そうとした。 

       だが釈尊は、その供養をしりぞけ、主人に教え諭した。

 

   「我は教えを説いて、食を得るものにあらず、そは、知見ある者の行為にあらず。

    故に我は、教えの対価は受けず。ただ、精神の荒野を耕すが我が、修行なり。

    もろもろの煩悩を、つくし果たして、まことに尊敬すべき聖者を見なば、

   主人よ、かかる人に供養せよそこは、功徳を求むる者の、福田となであろう」

 

      供養とは本来、人間の優れた人格や、聖なる尊厳に対する、

      敬意でなければならない。供養は、対価であってはならない。

    諭された故に施す供養はもはや、供養の純粋的価値を無くしているのである。

      托鉢修行者への供養はただ、尊敬の念より、与えられるべきものであり決して、

      説法の対価として、与えるべきものではないのである。

  

      托鉢はただ、黙然として家々を訪れ、供養する者があれば受け、

      与える者が無ければ立ち去るただこの、作法のみである。

                                              制作&語り 白井勝文

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