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津軽の民謡と,言えば、誰もがすぐに「津軽じょんがら節」の唄と、
あの,派手な津軽三味線を,思い浮かべる。
ところが、この唄をよく聴くと、普通の民謡とは少し,性格が違う事が,判ってくる。
それは、一般に民謡と言えば、何処かの土地に伝わる,盆踊りの唄とか仕事唄,
あるいわ祝い唄,といった様に、生まれ育ったその唄の,故郷がある。
しかし,津軽じょんがら節のような『津軽民謡』と言われるものに関しては,『津軽
の唄である』と言うことは判っていても、何処の町の唄で,どんな時に歌ったもの
か,となると,全く不明である。
で、しいて言えば,『昔,坊様がよく歌っていたが、今では津軽の芸人達が好んで
歌う』と言ったそんな程度の事しか、判らないのである。
そしてまた,それ等の歌詞をみると、次々に新しいものを競って,作りあげている事
が判るが,それも、「津軽民謡」の特徴の,一つとなっている。
普通の民謡は、江戸時代を中心に,その土地の風俗や習慣,そして,人情などを唄
にして歌い継がれ、元唄,と言うものが定まっている。
しかし,『津軽民謡』には元唄と言うものはない。唄の節回しは常に,変化を続け,
一つの唄を伝統的に,歌い継ぐ事はしない、など,これらは他の民謡では考えられ
ない事である。
その,節回しの変化は,津軽じょんがら節の旧節,中節,新節などに,聴くことができる。
この,旧節中節新節の節回しは、今日振り返ってみると「こういう節回しを演じる人
もいた、こんな手を使う人もあった」と言う,ある種の芸風の違いを、古い順に置い
ただけの,ことである。
そして今でも,節回しは変化を続け、新々節が次々と,編み出されている。
極端に言えば,一人の人が、今日と明日の舞台では違った節回しを演じ,常に変化
を求めていく、それ故に,歌い手の歌い方もこれ又、十人十色となる。
このような事から,伴奏を務める津軽三味線の連中も,同じ手は二度と弾かず,次ぎ
から次ぎへと新しい手を,求め続けていく。これも,他の民謡には見られない,事である。
では一体、どうしてそうなったかと言うと。実はこの,津軽じょんがら節などは,津軽
地方の、農民や漁民たちが歌ってきた民謡ではなく、巡業一座や,門付けで生計を
立てていた,坊様と,呼ばれていた人達の,商売用の、唄だったのである。
坊様とは、琵琶や三味線を弾いて語りをする,座頭の事であり本来は立派な呼び名
であった。
しかし,江戸時代に人ると,次第に落ちぶれて、単に金をもらうための,門付け芸人に
なり下がり、江戸末期から明治にかけては既に乞食の代名詞となり果ててしまった。
『津軽民謡』は,こうした津軽生まれの坊様達が,『門付けをして歌ってきた唄である』
と言う事からすれば,その唄の故郷は津軽,と言えるが、普通に歌われている民謡と
は違った,特殊な背景を背負った,唄だったのである。
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