教職員不祥事の処方箋
                   インド哲学の精神カウンセラー  バール・クリシュナ・フミオ

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    教職員による不祥事の処方箋を探る、という記事が出ておりましたが、そこではいろいろな
   処方箋がアドバイスされております。しかし、問題を起こす男性の性についてのメカニズムに
   切り込んだ、処方箋はなされていないようです。
   私はこれに対する根本的対処として
インド哲学の視点からその処方を書いてみました。
   これはアメーバブログで、11月30日から12月4日まで五回にわたって書いてきたものを掲載します。
   
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         静岡新聞に、教員不祥事に関する記事が頻繁に出ております。








教員不祥事の処方箋を探るテーマ:私のエッセー

2011-11-30 07:56:32 balkrishnaの投稿

新聞のコラムに「教員不祥事の処方箋を探る」と言うものがありました。

そこに書かれている内容は。

1−教育委員会は不祥事根絶委員会を新設した。

2−防止対策を提言してきたが、効果はない状態

3−これまでの対策は理想論やそもそも論で終わってしまっている。

また現状の問題の捉え方として、そしてその対策として、この方は次のように言っておられます。

1−先生の教育も一足飛びでなく地道に汗をかく必要がある。

2−挨拶プラス一言でもコミュニケーションをする

3−セクハラ定義を含めた人権感覚を研ぎ澄ませ、新しい対策に踏み込んで、積み重ねをしていく

4−心理学者、弁護士、海外のセクハラ対策事例、データファイル化し今後の対策に生かす

さらに現状に対する、言いたい事として。

1−厳しい現実社会に目を向けてほしい

2−教育の理想や夢の根幹を守らなければいけない

3−就職試験に直面して、初めて戸惑う若者も多い時代に、即応する視点が欠けていないか。

4−危機意識や対策について、一般社会や民間企業に学ぶ点もあると感じる。

5−校長や他の教員の空気を読みすぎて、本音で語る機会が少なくなっていないか。

6−問題の兆候が出ても、黙っていれば得策、という雰囲気になっていないか。

7−各校長をはじめとした、管理職の力量が問がわれている。

ここで書かれている事は、教育現場における現状とその対策ですが、これらの問題に対しては問題を起こしている男性に対する哲学的視点からと言った人間学の根本的考察が、全くなされていないように思えます。

このセクハラ問題はもともと男性人間が起こしている訳で、すべての男性が起こし得るセクハラのメカニズムに対する根源的な考察が全くなされておらず、どうしてこうなるのと言った戸惑いの姿だけが、私には観えるのです。

今まで教育界は、道徳や倫理の根本である、精神的知識をないがしろにしてきた訳でありその帰結がこの様なコラムに顕われている事態だと思えます。

当然ながら、物質文明の極まった今の時代にあっては、道徳や倫理を学ぼうとする環境としては最悪の状況であり、それこそ真摯に熱意をもって、断固たる決意で精神知識を学ぼうとする姿勢なくしては、問題解決はあり得ないでしょう。

教員不祥事の処方箋を探る(U)テーマ:私のエッセー

2011-12-01 08:25:43 balkrishnaの投稿

インド哲学の世界では、教師、文学者、科学者、僧侶などは知的労働階級の人たちであり、ブラーフマナと言われます。

これらに携わる人々は、この世で生きていくための知識や精神面における指導者としての仕事を担っているのです。

それは、ヴァルナ(シュードラ、ヴァイシャ、クシャトリア、ブラーフマナの四制)の区分からすると最高位のブラーフマナと位置づけられ、聖職者として尊敬されなければならない人たちです

その聖職者たる教師が、生徒にわいせつな行為をするなど絶対に許されない事であり、その被害者や保護者だけでなく、教育界の規範の乱れとしてもその衝撃は大きいものです。

しかし、これらの問題に対しては問題を起こしている男性に対する哲学的視点からと言った人間学の根本的考察が、全くなされていないように思えます。

このセクハラ問題はもともと男性人間が起こしている訳で、すべての男性が起こし得るセクハラのメカニズムに対する根源的な考察が全くなされておりません。

ちょうど癌で病んでる人に、その癌の治療には全く触れず、癌にならないためには食事に注意し、お酒もたばこもやめ、ストレスを溜めないで、適度な運動をして・・・・など、原因にはメスを入れずに、癌が発生する環境要因だけを正そうとしている状態だと言えます。

そしてもっと重要な事は、いつ自分の身にも降りかかってくるかもしれない、忍び寄る禍にもかかわらず、問題を起こした本人だけの特異的なものとして、他の教師たちは傍観的に感じている事です。

それにこれらは、誰もがちょっとした心の隙に付け込まれるものであること、また少しづつ蓄積される欲望の魔力の恐ろしさに気がつかないでいることなど、この様な些細の事がこの問題解決を難しくしているのです。

生徒との間で、欲望をそそるような場面や境遇に置かれた時、過度のストレスで正常な精神状態で無くなってしまった時など、いつでもちょっとした隙に普通の人が起こし得るのがセクハラなのです。

人間は、動物の肉体に閉じ込められた魂が、その本質なのです。

従って男の人間は、性欲に常に突き動かされる強烈な衝動を持って生きていかなければならない動物である、これが男と言う動物なのです。

その男と言う動物から理性ある人間となるには、動物的肉体の浄化が絶対必要条件になるのです。

その人間の浄化は、人間の本質である魂としての修行をこなさなければ浄化はできないのです。

これらの魂の修行は精神知識を知ることであり、それは神が定めた魂の修行カリキュラムなのです。

これは学校で教えられた、一般教養とは全く別次元のものであり、一般教養をどんなに積んでもこの精神知識は全く得られないのです。

しかし、今の時代はこの学校で教えている一般教養だけでその人の全人格を評価している為に、精神知識の欠陥を見抜くことができないのです。

この精神知識の欠陥と、動物的肉体の浄化ができていない教師が、この様な破廉恥なセクハラ事件を起こすのです。

これらの男性には、男性の生理的と精神的なメカニズムを理解させ、肉体の浄化の修行である、アシュタンガ・ヨーガを教えることが必要だと思います。

そして、男性の生理的と精神的なメカニズムを理解させるための、精神知識の修養にはインド哲学バガヴァッド・ギーターを学ぶことが絶対条件となるでしょう。

教員不祥事の処方箋を探る(V)テーマ:私のエッセー

2011-12-02 11:28:26 balkrishnaの投稿

今回問題となっている教員不祥事は、聖職としての教師がわいせつ行為を起こす事が問題であり、一般人では特に社会問題として、騒がれる事はありません。

当然社会通念としては、教職者たるものは高い学識と見識をもっており、また子供たちに、次世代を担うにふさわしい指導をすることを、期待されているのです。

そんな親や社会の期待を、大きく裏切ることが問題の大きさとなっているのです。

さて、その具体的対策としては、先ず問題を起こすような人の、人間の哲学的視点からの分析が必要だと思います。

1−人間は本来、魂の存在である。

2−その魂は本来、創造主神とおなじ純粋なる性質である。

3−しかしその純粋なる魂が、肉体の中に入ると、肉体の持つ動物本能(食欲、性欲、睡眠欲)と人間特有の物欲、支配欲、名誉欲に、その行動が突き動かされるのです。そして男性においては特に性欲が非常に大きなウエイトを持っているのです。

4−その突き動かされる性欲衝動を、知識と理性によって押さえているのです。

5−結局の最後は、性欲衝動と理性の攻め合いの結果であるとの事です。

自分は魂である、との強烈なる自己認識が出来ていない人は、自己の主体が結局は肉体的欲望となるのです。

そして、自分は魂の存在であると、超然と認識した人は、肉体の欲望を抑制し禁欲することができるのです

それだけでなく、人間として肉体を持って生まれてきた事、そしてこの世で男性として生きる意義を知り、魂の修行にこそ肉体を使う重要性を、自覚できるのです。

欲望に振り回される動物的人間の弱さを知り、欲望を抑制できる強い魂としての自分を知り、欲望に渦巻く肉体を持ってこそ修行であるとする、そんな自分を尊敬する人物とならなければなりません。

この様に、魂としての自己を確立し、客観的に自己を見つめ、自己を尊ぶことのできる、独立自尊、自主自立の精神に向かわすことが、不祥事を防ぐ土壌づくりとなるのです。

教員不祥事の処方箋を探る(W)テーマ:私のエッセー

2011-12-03 07:05:59 balkrishnaの投稿

このわいせつ行為による不祥事がなぜ起こってしまうか、人間の犯罪発生メカニズムとその対処方についてバガヴァッド・ギーターでは、次のように分析しています。

アルジュナ問う?人は自らの意思に反してまで、罪深い行動に走る場合がありますが、それは何の力によるものですか?<バガヴァッド・ギーター3章36節>

人間の根本は個別に意識を持った魂であり、それは創造主神の一分霊であるため、その本質はほんらい清浄で精神的なものなのです。

従って俗世界の罪なんかに染まらないのが本来の相なのです。

しかし人間の動物的本能の強烈なる、衝動的推進力によって、平気で罪深い行為をするようになり、時には自分の意思に逆らってまで、犯罪的行動をとってしまう。

わいせつ行為を犯すような人は、まるで何かに強制されているかのように、悪い行為をする。

しかし、それは人間の本質である魂が、そんな行為を命令しているのではないのです。

その答えを創造主神クリシュナは言っています。

アルジュナよ、 それは貪欲なのだ、物質世界の激情(ラジャス)に触れて欲望が生じ、それは憤怒にかわる、まことに貪欲こそこの世の大敵である。<バガヴァッド・ギーター3章37節>

以前にも書きましたが、私たちの本質である魂が、動物肉体に入ると、物質自然の三様式(タマス、ラジャス、サットヴァ)と言う状態に置かれてしまうのです。

この激情的状態が貪欲をおこし、その欲望が達成されなければ次は怒りの気持ちが湧きおこり、その時はその人は無知(タマス)の状態に落としこめられてしまうのです

当然その時の精神状態は無知の状態であり、理性や社会常識や罪の意識などもなくしてしまう状態になっているのです。

貪欲こそ人間にとって最大の敵であり、この貪欲こそ清浄な人間を誘って、欲望活動の檻に閉じ込めておく張本人なのです。

この様に、賢い人間の純粋意識は、欲望と言う形の天敵に覆われている、それは底なき谷のように飽くことを知らず、燃えさかる火のように、心身を焼く。<バガヴァッド・ギーター3章39節>

欲望はどれほど感覚を楽しませ続けても、欲望は満たされない。

それはまさに、間断なく薪を入れ続ける火が、決して消えず燃え続けているように。

男性世界では、あらゆる活動の中心がセックスである。

だからこの世は、マイトゥニャ・アーガーラ(性生活で縛られてる世界)と呼ばれている。

教員不祥事の処方箋を探る(X)テーマ:私のエッセー

2011-12-04 07:52:07 balkrishnaの投稿

ゆがんだ性欲は無知のシンボルであり、これに縛られては人間は無知の状態に落としこめられてしまうのです。

肉体の快楽にふけっている間は、ある種の幸福感はあるだろうが、この幸福感こそが当人にとっての天敵なのです。

人間の欲望は、眼、耳、鼻、舌、皮膚、の五感と心と知性を住みかとし、本来の知性をおおいかくして、人間を迷わせているのだ。<バガヴァッド・ギーター3章40節>

敵は感覚の取り入れ口である眼、耳、鼻、舌、皮膚五感を占領しているのです。

感覚欲望の活動中心地は心ですが、それを手助けするの頭脳の働きです。

心と頭脳は、感覚の楽しみに関する全ての観念や計画の貯水池みたいなもの、的確にいえば欲望の倉庫なのです。

もし、心で起きた邪な欲望であっても、その人間の本質である魂が清浄であるならば、心より上位にある知性がその暴走を押しとどめる方向に向くのです。

知性はさまざまな煩悩を率いる心の総元締めとなっています

心の思うままに行動することを知性が許せば欲望の奴隷となり、逆に清浄なる魂の指示に従って知性が理性ををもって心を抑制すれば、人間の過ちは無くなるのです。

この五感と、心と、知性と、魂の関係を五頭立ての馬車に例えてみます。

バール・クリシュナ・フミオのブログ
五頭の馬はそれぞれ、眼、耳、鼻、舌、皮膚を表し、心は手綱であり、知性は御者を意味し、そして魂が馬車のオーナーに例えられます。

馬車のオーナーである魂が行くべき目的地をしっかり自覚して、その為の指示を知性である御者に明確に伝え、御者は心と言う手綱さばきで、五頭の眼、耳、鼻、舌、皮膚を正しい方向に導くのです。

これが本来あるべき人間の生き方の姿ですが、現実には五頭の馬が好き勝手な方向に進み、それに引きずられ楽しんでいる心があり、にもかかわらず知性と魂は眠りこけているのが実情なのです。

この様に、わいせつ不祥事を起こす、男性と言う動物の哲学的視点に立った分析が絶対必要であり、その根源的原因を探り、その原因に適合した処置こそが、問題を起こした本人にとってもまた、いつ自分がその立場になるかもしれない、そのよう境遇にある人たちにとっても、有効な事であると思います。

この哲学的視野を持つ教育こそが、今の学校教育に一番遅れているカリキュラムであり、この様な問題がそんな教育現場からつぎつぎと起きている事は、実に皮肉なものと思います。

その哲学の根本がインド哲学バガヴァッド・ギーターなのです。

このバガヴァッド・ギーターの精髄を学ばなければこの様な問題の解決は不可能でしょう。

バガヴァッド・ギーターはインドのマハトガジーが、生き方の指南書として生涯携えていた聖なる書です。
   
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